修学旅行列車 |
修学旅行列車 2011年5月25日新設 2011年9月22日更新
昭和30年〜40年代、ヘッドマークを付けた修学旅行専用列車が、時刻表にも記載された固定ダイヤで満員の学生を乗せて各地で運転されていました。
戦後すぐのベビービームの時期に生まれた子供たちが、修学旅行の年齢を迎えると、輸送需要は増大し、1959年(昭和24年)4月20日からは、日本初の修学旅行専用電車155系による修学旅行列車の運転が開始されました。
運転区間は、品川〜京都にひのでが、品川〜京都、大阪、神戸間に、きぼうが、新設されました。ひのでは、関東地区学生の関西への修学旅行列車として、きぼうは、関西地区学生の関東方面への修学旅行列車として設定され、往路は、昼行で、帰路は、夜行の設定となっていました。
写真は、大坂駅で出発を待つ専用HM付けたきぼうです。車両は修学旅行専用電車155系です。TAKEMASU様が1966年頃、撮影された貴重な写真を掲載しています。
<きぼう>155系 大阪駅にて 1966年頃 TAKEMASU様撮影
下の写真は、品川駅で出発を待つひのでです。修学旅行に出発する当時の中学生の姿も見えます。1970年頃、sakamaki様が撮影された貴重な写真を掲載しています。
155系は修学旅行専用電車として、新設された車両で、153系がベースですが、一般車と異なる点も多く、塗装は、修学旅行専用車両独特の明るい配色、ライトスカーレットとレモンイエローで、塗り分けも153系は前面が、オレンジ1色に対し、ライトスカーレットが斜めに塗り分けらていました。又、中央東線への臨時列車としての運用を考慮して、屋根が低く設計され、見た目は、153系とかなり異なった印象です。
又、途中駅での乗降が少ないため、扉は狭く、座席は、定員を増やすために、片側は3人掛けで、横が5人掛けであり、修学旅行を最大限に考慮した車両でした。
<ひので>155系 品川駅にて 1970年頃 sakamaki様撮影
1965年(昭和40年)10月1日からは、ひので・きぼうの混雑を解消するため、新たにわかくさ・わかばが新設されました。わかくさは関東地区用で、品川〜京都間に運転、わかばは関西地区用で東京、品川〜明石間に運転されました。この内、わかくさには、165系をベースにした修学旅行専用電車167系が、新製され1965年10月1日より使用されました。
写真は、京都駅に到着したわかくさです。車両は167系、167系は、塗装はライトスカーレットとレモンイエローの修学旅行色で、外観は、165系と大差はありませんでした。
<わかくさ>167系 京都駅にて 1969年頃 TAKEMASU様撮影
1966年(昭和41年)4月からは、下関〜東京間の修学旅行列車として、わこうどが運転を開始しました。高校生用の下関〜東京間のわこうど、中学生用の下関〜京都間の友情、小学生用の下関〜広島間のなかよしと学年別に運転区間と名称が別々に設定されました。又は運転区間が長いわこうどは急行扱いとなりました。又、修学旅行の設定の無い時期は、下関〜東京間の臨時急行長州として運転されました。又車両は、167系で運転されました。
写真は、京都駅に到着した丸い大型HM付けた友情です。車両は167系、運転区間は下関〜京都間で山陽方面の中学生が利用しました。TAKEMASU様が1969年頃、撮影された貴重な写真を掲載しています。
<友情>167系 京都駅にて 1966年頃 TAKEMASU様撮影
又、他の修学旅行列車は、普通列車扱いでしたが、1967年10月1日からは、ひので・きぼう・わかくさ・わかばは、急行扱いになりました。
多くの修学旅行生を運んできたこれらの修学旅行列車ですが、東海道新幹線が開業すると、修学旅行の新幹線利用が多くなり、1971年10月、ひので・きぼうは廃止となりました。又、1973年6月23日、わかくさ・わかばは臨時列車に格下げされ、1975年3月15日の山陽新幹線、博多開業により、わこうど・友情・なかよしも廃止となりました。
その後、修学旅行電車は、一般の臨時列車、団体列車や急行や快速列車などに使われました。写真は1976年3月に東京駅で撮影した167系の臨時列車です。塗装は修学旅行色のままの編成です。その後、修学旅行色より随時一般色に塗装変更されていきました。155系は非冷房のまま1980〜1982年に廃車されました。又167系は、1978年〜1981年にかけて冷房化工事が行われ、165系と混成の編成で、臨時急行や波動輸送用に使われました。JR化後も引き継がれましたが、2003年までに全車廃車となりました。
<臨時>167系クハ167-4 東京駅にて 1976年3月撮影
私鉄でも近畿日本鉄道において、1962年(昭和37年)に全車2階建車両の修学旅行専用電車20100系あおぞれを登場させました。近鉄は、特急仕様のVISTA CARを投入し、しかも世界初の全車2階建電車であり、当時としては特筆すべき車両であり1963年にブルーリボン賞を受賞しました。京阪神、名古屋方面からの伊勢志摩への小学生の修学旅行列車として主に使われました。
下の写真は、鳥羽駅で停車する近鉄20100系あおぞら号です。1975年にデジアナ様が撮影された写真を掲載しています。水族館や真珠島がある鳥羽は、修学旅行の定番の行先のひとつでした。
近鉄<あおぞら号>20100系 鳥羽駅にて 1975年デジアナ様撮影
下の写真は、伊勢中川駅に修学旅行生を乗せ停車する近鉄20100系あおぞら号です。1978年に撮影、全くのオリジナルの優れたデザインの車両でした。非冷房であったため、1988年には、実質引退し、18200系あおぞらUに引き継がれました。
近鉄<あおぞら号>20100系20102 伊勢中川駅にて 1978年撮影
※掲載されている画像の転用・転載はお断り致します。また著作権等の知的所有権は全て撮影者の方に帰属致します。