ローカル私鉄紹介

    福井鉄道       更新 1998.10.12         PAGE 1

 福井鉄道は福井県の嶺北地方の武生市、鯖江市、福井市をほぼJR北陸本線と平行して結ぶ鉄道で、以前はこの地方に多くの路線を有していましたが、今は福武線のみになっています。福武線は鉄道線と軌道線(路面線)からなっていて、福井市街の路線は軌道線で、大型の電車が路面を走る姿が見られます。鉄道線17.8km、軌道線3.6km

  このページでは1982年3月に訪れた様子を紹介します。この時、福井県のもうひとつの私鉄、京福三国芦原線も訪れました。福井鉄道と京福三国芦原線は田原駅で接続しています。

 r1201.JPG (29100 バイト) 軌道線を走るモハ121-1+クハ121-2、公園口〜本町通にて

  福井鉄道の電車は全て鉄道線からの直通乗り入れで、軌道線(福井市内線)のみの運転は昭和44年に廃止になっています。この頃の福井鉄道の塗装はクリームとブルーが標準でした。又電車の側面には派手な広告が施されていました。写真の電車はモハ120形モハ121−1+クハ121−2です。この120形は同形の電車にみえますが、それぞれ経歴は全く異なります。

モハ121−1は122と共に昭和25年に日本車両で製造された福井電鉄発足(昭和20年8月1日)後の最初の新造車です。廃止された鯖浦線でも活躍していました。又いち早く広告電車になっていました。クハ121−2は三河鉄道(→名鉄)が日本車両で昭和4年に新製したデ300形が前進で、名鉄時代はモ3001、昭和41年モ3002と共に入線、モハ151、クハ151となり、南越線(廃止)で活躍していましたが、福武線に移動し、クハ121、122となりモハ120形とペアを組んで活躍しました。このモハ121−1+クハ121−2はすでに廃車されましたが、もう一方のモハ122−1+クハ121−2は健在で、予備車ですが、まれに運行されています。

 r1228.JPG (40685 バイト)連接車200形モハ202-1、2 市役所前付近

写真は福井鉄道のエース、モハ200形です。武生〜福井間の急行用として製造された高性能連接車です。製造当時としては洗練されたスタイルで、1960年(昭和35年)、日本車両で製造され、計3編成6両が1962年(昭和37年)までに登場しました。塗装は標準色に白帯が一本加えられていました。現在は冷房化及び塗装が変更され、各駅停車中心の運用で、活躍しています。

r1229.JPG (35743 バイト)モハ140形モハ142-1+クハ142-2、公園口〜本町通

写真は足羽川に架かる幸橋を渡るモハ140形モハ142−1+クハ142−2です。この編成は別々の他社線からの移籍車両で、モハ142−1は元長野電鉄モハ300形モハ302、昭和16年の汽車製造製で、1978年(昭和53年)に入線しました。クハ142−2は元知多鉄道の910形で、名鉄となってからモ900形902として瀬戸線で活躍後、1978年(昭和53年)に入線、1929年(昭和4年)の日本車両製です。モハ140形は3編成6両が今も活躍しています。1978年以前は異なる車両で編成されたモハ140形が存在しました。現在の140形との関連は不明です。

 r1216.jpg (35668 バイト)急行福井行 200形モハ203-1、2 公園口〜本町通

福武線は、前進、福武電気鉄道株式会社が、1924年(大正13年)武生新〜兵営(現、神明)を開通、翌年には兵営〜福井新が延長開通しました。昭和8年には福井新〜福井駅前が複線で開通、福井市内直通乗入れが実現しました。終戦直前の昭和20年8月1日には、鯖浦電気鉄道と福武電気鉄道が合併し、福井鉄道が発足しました。その後福井市の戦災、震災(福井地震)復興計画にそって、昭和25年に本町通〜田原町が開通し、現在の路線が完成しました。この時本町通から直接、福井駅に向かっていた路線を改編し、市役所前で折り返す現在の路線の姿になりました。

福井鉄道では、1986年(昭和61年)には静岡鉄道から300形を購入、JRと競合を続ける等、地方私鉄としては異色の鉄道です。又さらに派手な全面広告電車を走らせています。

今回はコンテンツも少なく以上です。


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