ローカル私鉄紹介

    京阪 交野線     更新 1998.11.9       PAGE 1

 このページでは大阪、枚方市から生駒山系の麓、私市(きさいち)にいたる京阪、交野(かたの)線を紹介します。交野線は京阪本線より枚方市から分岐する京阪の6.9kmの支線で、かつては旧型車が多く使用されていました。路線は生駒山系に沿って南北に走り、大部分が直線的な平坦線ですが、私市付近では山すそに達して、上り勾配の連続になります。終点の私市はハイキングコースの基点になっています。又交野線は自宅より最も近いローカル気分が味わえる路線で、何度となく訪れました。

2000年7月の交野線(速報) 追加 2000年7月1日のダイヤ改正後の1900系の走行写真等。


このページでは1980年頃の交野線の様子を紹介します。

r1202.JPG (36076 バイト) 交野線単線区間を走る1300系1310 河内森駅付近  1980.8

写真は河内森〜私市間の単線区間を走る1300系1310です。この頃の交野線は宮之阪〜交野市3.7kmを除いて単線で、車両は今はなき1300系、1700系が多用されていました。現在交野線は全線複線化されています。

この1300系は京阪大型車の元祖で、戦後の車両不足を補うために、1948年(昭和23年)に、運輸省規格型車両として京阪神急行時代に京阪線に投入されたのが最初です。私鉄標準規格 A’車に準拠し、車体幅を京阪在来車より130mm広い、2,720mmとしたので、使用開始にあたり、ホーム等、京阪線内すべての車両限界を拡張して対応、京阪線の規格の向上に貢献しました。一部の車両は特急にも使用されましたが、この頃は支線中心の運用で、1983年12月(昭和58年)の600Vから1500Vへの昇圧により全て廃車になりました。

r1204.JPG (32287 バイト)交野線を走る1700系、河内森付近   1981.3

この写真は同じく河内森付近を走る京阪特急のパイオニア1700系の1702+1752+1788+1758の4両編成です。戦後の1951年(昭和26年)に特急の本格運転に伴い新製された車両で、京阪の歴史の中でも存在意義は大きい車両です。1700(Mc)+1750(Tc)のユニット特急車で、デビュー当時、車内は赤いロマンスシートが並び、国鉄の特ロ並み、特別料金をとる近鉄特急(2200系)を、しのぐ豪華さで、さらに外観はカーマインレッドとマンダリンオレンジの他に類を見ない派手なツートン・カラーで、以来これは、京阪の特急カラーとなり、この1700系で試みられた基本理念はその後の特急車両に継承されました。9編成、18両が製造され、その後1963年(昭和38年)、1800系、1900系のデビューで、一般車に格下され、ロングシート化、外装も一般色になり、又1967年(昭和42年)には1707〜1709が中間電動車化され、1787〜1789に改番されています。晩年は1800系と編成を組み、写真の1編成が、1700系のみで構成され交野線で活躍していました。1300系と同様に昇圧時に廃車されました。

r1203.JPG (31842 バイト) 1900系1930河内森駅付近  1980.8

写真は交野線にたまに入線していた1900系です。1900系は1963年(昭和38年)の大阪市内地下線(淀屋橋〜天満橋)完成を記念して、新しく揃えた特急車で、新造の25両に1810系からの編入車を含めた41両でスタートし、1965年(昭和40年)に中間電動車4両が増備されました。写真の様に前面に異色のバンパーが採用され、又ウインドシルがなくなり、ライトも左右窓上の埋込式2灯となり、より近代的なスタイルになりました。3000系の登場で、一般車に格下げられ、ロングシート化、三扉化されました。1900系は昇圧工事が実施され、その後、冷房化工事等が施され、現在も交野線等で活躍しています。

次のページでは1980年頃の春の交野線の美しい風景と歴史を紹介します。

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