関西の大手私鉄、断片集

    昇圧前の京阪本線     更新 1998.9.5      PAGE 1

 大阪と京都を結ぶ京阪電気鉄道は、路線の制約、幾多の苦難の歴史などから、特徴あるサービスや車両を誕生させ続ける関西を代表する私鉄です。その中心路線の京阪本線は1983年12月に600Vから1500Vへ昇圧されましたが、昇圧前は、近代的な路線を旧型車と新性能車が混在して活躍する路線でした。このページでは、私鉄最長の高架複々線(天満橋〜寝屋川信号所間12KM)が完成して間もない1980年8月の京阪本線の様子を紹介します。

99819003.jpg (32855 バイト)3000系と2000系の並走  萱島付近   1980.8

1980年3月に待望の土居〜寝屋川信号所間5.8KMの高架複々線が完成、昭和初期に完成していた蒲生信号所〜守口間などと合わせて民鉄最長の高架複々線が完成し、それまでは、複線で平面路線であったこの区間は、一気に利便性が向上し、又高架により車窓も一変し、通勤、通学の苦痛からある程度、開放されました。そんな中、広々とした複々線を走る京阪電車を撮影しました。

写真は京阪の看板3000系3509編成と競争する2000系2001スーパーカーで、共に戦後の私鉄車両を代表する名車です。3000系は京阪の特急ロマンス・カーとして長年活躍してきましたが、現在は8000系に後を譲り、ダブルデッカーを組み込んだ1編成を残し、普通車両に格下されることなく引退、1部は富山地方鉄道や大井川鉄道で第2の人生を送っています。2000系は戦後の通勤電車を代表する車両で、1959年から登場、独特のタマゴ型の断面形状は、京阪通勤電車の基本パターンとなりました。又日本最初の平坦線回生ブレーキを採用、高加速、高減速を実現し、高性能通勤車スーパー・カーとして活躍しました。

99819004.jpg (20970 バイト)2000系2039 萱島付近  1980.8

しかしながら、通勤、通学者にとってこの頃、非冷房の2000系がやって来ると、がっかりしました。又、毎日見飽きて、ウンザリする存在でした。このため、写真もここに紹介する以外はほとんど残っていません。2000系103両は1978年から、随時、2600系に改造され、いつのまにか、姿を消して行きました。そして昇圧前の1982年には全て2600系に改造されました。

99819005.jpg (45362 バイト)2000系、守口にて 1980.8

写真は守口駅を出発する2000系6両編成2039-2110-2040-2053-2129-2054で、オールM車の編成です。デビュー当初はオールM車方式で登場した通勤型新車2000系ですが、その後は、経済性等の理由からT車又はTc車の組合わせが基本になり、次の通勤型電車2200系からはこれが採用されました。

99819002.jpg (37384 バイト) 2200系と600系  守口にて 1980.8

写真は守口駅に到着する2200系と600系です。2200系は通勤急行用ニューモデルとして、1964年から増備され、いち早く1974年〜76年に1500V昇圧準備工事及び冷房化が完了しています。又京阪ではこの2200系よりスカートが採用されました。

99819002W.jpg (28737 バイト)600系634 (上の画像の拡大)

600系は昭和初期の車両や、戦後新造した車両を統合した雑多な形式で、外見は前照灯がおでこに一つのものと、二つ並んだものがあり600系の特徴になっていました。写真はヘッドライトが一つの630形634で、630形は元1650形で、1957年〜1958年に京阪では最初の3扉通勤車タイプとして10両製造され、制御車として活躍し、1964年に余剰となった電装品、台車を譲り受けて電動車化、630形となり600系に加わりました。又この元1650形は京阪初の両開き扉を採用、スーパー・カーのテスト車になるなど、京阪の通勤車の基礎造りに貢献しました。1650形の新造に続いて1961年より、日本最初のロマンス・カー(転換式クロスシート車)の旧600形、旧700形、41両を同タイプに更新し通勤車として近代化したのが600系のルーツです。こちらの制御車600形はヘッドライトが二つ集約されたタイプです。その後、中間車化、編入を経て53両が活躍していましたが、1983年の昇圧により全て廃車になりました。

99819006.jpg (39867 バイト)1700系、1800系 京阪本線にて1980.8

写真は1700系、1800系の編成1803-1851-1804-1705-1755(手前)です。元特急の1700系1800系はこの頃はローカル輸送が中心で、交野線にも入線していました。1700系が半鋼製釣掛車、1800系が全鋼製カルダン車であるにもかかわらず混成で編成されていました。1700系は内装が木製ニス塗りで、又連結部は広幌で、旧型車の中でも1700系に乗ると何か徳をした気分になりました。

99819001.jpg (39959 バイト)1700系1755 滝井にて 1980.8

1700系は1983年の昇圧前にデビューしたアルミ車体の6000系の登場により引退、廃車されて行きました。

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