ローカル私鉄紹介

 島原鉄道     更新 1998.1.3       PAGE 1

 このページでは、九州長崎県の島原半島を走る島原鉄道を紹介します。

 島原鉄道は島原半島の有明海側を半周するように、国鉄長崎本線の諌早(いさはや)から加津佐までの78.5Kmを走る、単線、非電化の私鉄です。

 島原鉄道 急行(キハ2603)、諌早駅にて

写真は1980年8月に訪れた時の様子です。

 この頃、島原鉄道の列車は国鉄線の佐世保、長崎や遠方の小倉まで乗り入れていました。この乗り入れは国鉄の急行等に島原鉄道の車両が連結される形で行われていました。またこれらの乗り入れ列車を中心に急行列車も設定され、私鉄には珍しく急行への乗車には急行料金が必用でした。

   急行券と乗車券

 島原鉄道の車両は、この様に国鉄へ急行車が乗り入れていた関係で、急行用は国鉄仕様に準じた車両を充当していましが、特徴として写真の様に、前面に国鉄特急風の赤い3本線が付けられていました。現在、これらの塗装は塗り替えられハデなオリジナルの塗装になっています。

  キハ2603 諌早にて

 急行用の車両としては、キハ20、26、55形が使用されていました。特に国鉄への急行としての乗り入れは、いち早く冷房化されたキハ26形が当てられていました。このキハ26は国鉄の気動車急行”出島”等に併結され、国鉄線を堂々と走っていましたが、国鉄線への乗り入れ列車は1980年9月30日限りで廃止されました。

 普通用の車両としては国鉄より買い入れたキハ16形、17形やキユニ4500形が走っていました。

  キハ5503(モノクロ)島原外港にて

 島原鉄道は明治44年(1911年)蒸気鉄道として諌早〜愛野間が開業し、大正2年には南島原まで全通しました。開業当時は鉄道院払い下げの蒸気機関車5両で運用され、この中には1号機関車も含まれていました。この1号機関車はその後国鉄に戻され東京神田の交通博物館に日本最初の機関車として展示されています。

 昭和18年(1943年)には半島南部の島原湊〜加津佐で営業していた口之津鉄道を吸収合併し、現在の路線になっています。

  列車交換、キハ20形急行(左) 島原外港にて

 島原鉄道は平成2年(1990年)から始まった雲仙普厳岳の噴火で運行不通と再開を繰り返し、平成5年(1993年)4月から土石流で、島原外港〜深江間が不通となり路線は分断されていましたが、昨年4月1日に、この間の2.6Kmの高架化が完成し4年ぶりに全面開通しました。

 島原鉄道は私鉄とはいいながら島原半島の交通の大動脈であり、その公共性、重要性は高く、この全面開通により火山災害で被災した島原半島の復興へ大きな弾みとなると期待されています。

 今回は短いですが、1ページで終わりです。         


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