国鉄特急


<本州>

しおじ〔SHIOJI〕EC特急 lses.gif (1164 バイト) L特急    2011年9月20日更新

 山陽路を代表すた昼行特急。しおじは、1964年10月の東海道新幹線開業により、新大阪から山陽路への連絡特急として誕生、運転区間は新大阪〜広島・下関で、東海道本線を追われた電車特急群が山陽路で再編成された中のひとつです。車両は当初、こだま型151系が使用され、在来線電車特急が主役であった時代の姿をそのまま引継ぎ、東海道、山陽本線の黄金時代を継承する特急でした。

 写真は、登場した頃のしおじです。TAKEMASU様が撮影された貴重な写真を掲載しています。先頭車は大窓で、区分室があるパーラーカークロ151(181)です。この先頭車クロ151(181)は、九州乗り入れの工事が行われた後の姿で、スカートにジャンパー栓用の穴が開けられています。このスカートの形から、クロ151(181)−9と思われます。151系は161系との形式統合により1965年〜1966年に181系に形式が変更されています。

TA-shioji.jpg (47485 バイト)特急<しおじ>クロ181(151) 大阪駅にて TAKEMASU様撮影

 写真は向日町運転所内で待機するしおじ、1974年9月に撮影。車両は晩年、481・485系や583系が使用さらました。1972年3月の新幹線岡山開業でも生き残り1972年10月改正でL特急となりましたが、1975年3月10日の新幹線博多開業により、他の多くの山陽路を走っていた特急つばめはとかもめみどり日向等と共に廃止されました。

Fh000035.jpg (39380 バイト)特急<しおじ>485系 向日町運転所にて 1974年9月撮影

 下の写真は大阪駅に出発を待つしおじ、1972年8月撮影、車両は181系、パーラーカークロハ181。181系は元151系で、国鉄を代表する電車特急車両、又クロハ181は、東海道を走破していた客車特急に代わって、1960年に誕生した電車特急つばめと同時にデビューした元クロ151、このため客車特急の展望車に代わる特急用車両として、2X1mの大きな窓や定員4人の区分室等、豪華な設備が設けられ、パーラーカーと呼ばれましました。

 この写真は構図も光線も悪いですが、クロハ181がまともに写っている唯一の写真です。この国鉄を代表し、栄光の時代を伝える名車を見たのはこれが最後でした。団子鼻の新幹線や貫通式の特急電車、スタイルが同じでもヒゲがある481・485系等が比べ物にならないぐらい、最も魅力的な車両でした。

1390-06.jpg (27999 バイト)特急<しおじ>181系クロハ181 大阪駅にて 1972年8月撮影

 181系のしおじは1973年5月26日485系に置き換えられ、これと同時に181系は、山陽路から全て撤退し、クロハ181は大改造を受け、普通のクハ181となり、上越線、信越線で最後の活躍をしました。

 写真は夕日を受けて大阪駅で出発を待つしおじ

1390-05.jpg (20857 バイト)大阪駅で出発を待つクロハ181特急<しおじ> 1972年8月撮影

 

 写真は大阪駅に停車中の181系しおじです。先頭車はパーラーカー、クロ181で、区分室(個室)を男性が覗きこんでいます。1968年頃、こーちゃん様が撮影された貴重な写真を掲載しています。

1-01.jpg (17643 バイト)特急<しおじ>181系クロ181 大阪駅にて 1968年頃 写真はこーちゃん様撮影

 写真は、山崎〜高槻駅間を走行する485系しおじ編成、廃止直前の1975年3月撮影、先頭車は、赤いスカートのクハ481です。

Fh919009.jpg (41287 バイト)  高槻付近を走行する特急<しおじ>485系編成 1975年3月撮影

 山陽新幹線岡山開業30周年を記念し、JR西日本が2002年5月18日に、新大阪駅 - 広島駅間に489系特急電車によるリバイバルしおじが運転されました。元町駅にてデジアナ様が撮影された写真を掲載しています。普段は付かない連結器カバーが特別に取付られ、当時を彷彿とさせました。又、翌日の5月19日には、広島-岡山間上がりは、リバイバルはととして運転されました。

kuha489-sioji.JPG (330528 バイト)  特急リバイバル<しおじ>489系 元町駅にて 2002年5月18日デジアナ様撮影

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